朝日が昇るその瞬間を、私は最も美しいと思う。
オリアーノ大陸中央からやや東。小高い丘陵を下った先に、巨大な城壁に囲まれた国があった。
アルラード――鉄壁の要塞を冠する城を眼下に据え、丘の上、佇む者がいた。
時刻は既に夜を過ぎ去り、今まさに朝を迎えるところである。
地平線の彼方より目覚めを告げようと、太陽がゆっくりとその姿を現す。
空と大地の境界線から這い出る光は、徐々にその量を増し、闇夜を溶かしていく。
そんな光景を前に、カイン=レイヴンは目を細めた。
背中まで伸びる漆黒の髪に、黄金色の瞳をした男――いや、男と見紛うほどの長身の女は、濃紺のローブに白い外套をまとっている。まるで龍の鱗のような黒い脚甲冑をがちゃりと鳴らすと、やってきた朝に挑むかのように、その鋭い金色を眼前の城に向けた。
春を迎えたばかりの草原は、ところどころ白い雪が溶け残っており、空気はまだ冬の冷たさを帯びている。
吐いた息が白を纏っては消えていった。
日は徐々に登り、佇む漆黒が顕になっていく。
うっすらと仄白い肌、細長い耳、そして、輝く金色の下からは、牙のような刻印が走る。
「今度は誰にも邪魔はさせぬ」
人と似て非なる女は、高揚を隠しきれない声音で呟いた。
いつの間にか太陽は、既にその全貌を見せている。
「――さあ、始まりだ」
漆黒の魔王カイン=レイヴン。
この時からわずか数日。
その名は、大陸全土に轟くこととなる。
朝の息吹を前に、漆黒は静かにほくそ笑んだ。
まだ雪の残る戦場を、戦車が駆ける。
手綱を握るのは、黄金の鎧に深いブルーのマントを纏う精悍な騎士達。鍛え上げられた右手には、各々巨大な剣を引っさげている。
馬の蹄は地面を躍り、その後を車輪の跡が追いかける。
「ゆけ!最強の軍団(レギオン)の力を見せつけるのだ!!」
逆V字に展開した陣を先導し、一際目立つ赤いマントの騎士が剣を掲げると、呼応して、後ろを行く騎士達がけたたましく吠えた。
真紅のマントを棚引かせたその男の左胸には、いくつもの褒章が飾られ、面頬の奥からは鋭い眼差しが覗いている。
彼こそが、この黄金の軍団(レギオン)の指揮官であった。
軍事大国アルラードの誉、太陽の指揮官といえば、このオリアーノ大陸に知らぬ者はいない。
戦とあれば真っ先に先頭に立ち、幾度も先陣を切り拓いてきたその男は、今目の前の、人ならぬ者達を前にしても臆することはなかった。
「まさか、生きているうちにこのような機会に恵まれるとはな」
そんなことを呟いて間もなく、その鋭い眼光が目先に敵陣を捉えるや否や、
「ボウガン用意!!」
素早く剣をボウガンに持ち直し、構える。一斉に他の騎士達も倣い、ひと呼吸。
「撃て!!!」
弓よりも幾分か大きい矢が、敵陣に降り注ぐ。
相手が盾で矢の雨を防ぎ始めると、一斉に馬にムチを入れ、戦車のスピードを上げた。
器用に馬を駆り、敵の合間をジグザグに走り抜け、いつの間にか持ち替えた剣ですれ違いざまに敵兵を斬り屠る。敵が陣形を乱すと、今度は大きく弧を描いて、黄金の戦車部隊は退避を始めた。
その瞬間、轟音と共に敵陣に巨大な鉛球が放たれ、砲弾の爆発から間髪入れず、合間を縫うようにして戦車部隊の後ろに控えていた歩兵達が、一斉に雪崩れ込む。そのまま敵兵を押し込むと、再び戦車部隊が敵陣に向かって鞭を打った。
この波状攻撃こそが、アルラードの最も得意とする戦術で、最強と言わしめた戦法である。
広大な草原を戦場として、この戦い方が破られたことはいまだかつてない。
「思ったほど大したことはないな」
呟いて、駆ける戦車の上から、戦場に倒れ付す敵兵を見下ろす。
それは、人と似て非なる姿をしていた。
細長い耳に、戦に出てくるにはいささか簡素な鎧、そして何よりも顔面に走る刻印が、異質さを引き立たせている。
人は、彼らを魔族と呼んだ。
本来、瘴気の立ち込める魔界で生活をし、滅多に地上には姿を見せない者達である。
今から30年前、突如として現れた魔族の軍が、当時最強と謳われた騎士大国アズウィルを滅亡させた。わずか3日であった。
その圧倒的な力を持ってアズウィルを滅ぼした彼らは、そのまま各国に侵攻を進めるかと思われたが、主のいない城に一部の兵を残し、この30年間動きを止めていた。
そして今、何万という軍勢を従え、魔族達は再び地上に姿を現したのである。
「魔族よ、感謝するぞ」
突如として始まった魔族との戦に、黄金の騎士達は心を躍らせた。
30年前にアズウィルが陥落してからというもの、どの国も慌てて休戦協定を結び、停戦状態に陥った。
武功を上げることでしか名を残すことを出来ない騎士達にとって、停戦は言わば名声の死と同義なのだ。
そして、今や最強と呼ばれるアルラードであるが、他国からはこう揶揄される。
――アズウィル不在の最強国、と。
すでに滅んだ国と比較され、それでもまだ敵わないと評されることは、彼らアルラードの騎士には、この上ない屈辱であった。
鋭い目の指揮官は、思わず口の端を緩める。
これでこの魔族たちを一掃すれば、名実ともにアルラードは最強の国となる。そして、あのアズウィルすら勝てなかった敵を打ち払った英雄として、自分の名も永遠に刻まれるのだ。
恍惚ともいえるその時を想像し、4度目の突撃をしようと馬を翻したその刹那。
突如緑の風が疾走ったかと思うと、左翼から悲鳴が上がった。
何事かと振り返り、指揮官はその光景の異様さに絶句する。
――馬、人、戦車。それら全ての上半分がないのだ。
まるで、かまいたちが通り去っていったかのように、次々と兵が、馬が、その半身を失っていく。
「総員退避!引け!!」
狼狽える兵を叱責しながら、指揮官は全軍に告げた。このまま戦を続けるには、正確な状況の把握と立て直しが必要である。
左翼側を避けるようにして、戦車を駆るそのわずかな時間。
彼は、緑色の風を、見た。
それは、魔法も兵器でもない。男だった。一人の男が、剣を両手に戦場を凄まじいスピードで駆け抜けているのだ。
信じ難い現実を前に、彼は下唇を噛んだ。
最悪のケースが頭を過ぎったその時、背後に降り立った気配に、黄金の騎士は、思わず振り返った。
闇に謳えば
序章
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