闇に謳えば

序章


 戦場から、敗走という名の帰還を遂げ、太陽の指揮官は城内をかけ巡った。
 国民を含めた兵糧の確保、他国への救援要請、怪我人の救護等、的確に指示を下していく。
 とりわけ問題になったのは兵糧の確保だった。無敗の騎士団の敗走に、恐れをなした貴族達が、いち早く自分の分を確保し、屋敷に持ち去ってしまったのである。
 当初の予定では1ヶ月は持つはずだったものが、2週間分になるという最悪の事態であった。
 ここから一番近い国に援軍要請を出しても、おそらくぎりぎり2週間はかかる。
 万が一援軍を躊躇われるようなことがあれば、確実に兵糧は尽きるだろう。その為、なんとしてでも、貴族達から兵糧を取り戻す必要があった。
 しかし、何度兵を遣いに出しても、権力を持った彼らから追い払われるばかりか、兵糧を餌に、貴族側につく者すら現れる始末である。
 それでも太陽の指揮官は、懸命に国を守るために考えを尽くした。戦場から帰ってきたままの彼の体力は、いくら直接的な小競り合いがなかったとはいえ、限界に近い。
「団長、ここは一度お休みになられては」
 せめて仮眠だけでもと、部下達は口々に勧めるが、彼は頑なに断り続けた。
 自分が国を、民を守らなければ――その想いだけが彼をひたすらに突き動かしていた。
 しかし、一方でそんな彼の行為を、越権行為だと非難する声も少なからず上がっている。
 本来であれば、非常事態の指揮は国王自ら取ることになっているため、彼が指揮を執ることはない。それにも関わらず、何故このような状況になっているのかと言うと、一重に国王本人に理由があった。
「何故……国王が真っ先に逃げるのだ」
 彼はわなわなと拳を震わせた。
 事は数時間前のことである。
 籠城を余儀なくされた太陽の騎士団を迎えたのは、空っぽの王座であった。最強国の頂点に君臨するはずの王が、兵どころか民を見捨てて逃げたという事実を、騎士達は絶望と怒りの中で受け入れることとなったのだった。
 とりわけ強い怒りに苛まれたのが、この指揮官その人である。彼は、必死に爆発しそうなる頭を冷やしながら、その身を費やしていた。
 援軍さえ間にあえば、国は守れる。ただ一心にそれを信じて。
「団長っ!!」
 しかし、その幻想は早くも打ち砕かれることとなる。
 突如、軽鎧を身につけたまだ若い兵が、広間に飛び込んできた。先輩騎士達の静止を振り切り、新兵は顔を真っ青にして、騎士団長の前に倒れ込む。
 慌てて周囲の騎士が彼を起こそうとして――悲鳴を上げた。
 ごろりと音を立てて、新兵の腕から何かが転がり落ちる。
 首だった。
 それが果たして誰のものか確認することなく、騎士達は苦々しい顔をしながら静かに目を反らすと、周囲はあっという間に絶望に包まれた。
 そんな中、床に転がる顔を検分し、指揮官は悄然と呟く。
「救援すら……許されないか……」
 その首の持ち主は、およそ1時間前に出立したはずの伝令兵のものであった。


 オリアーノ大陸で最強を誇る軍事国アルラード。その歴史は、約1000年前まで遡る。
 当時、戦というものが、歩兵の白兵戦のみで行われていた中、馬を使った戦術を生み出した戦士がいた。
 戦士の名は、アルラ=ルード。
 その頃、馬といえば荷物運びか、精々近距離を乗り回すくらいで、戦に投入されたことは無かった。しかし、このアルラ=ルードという男は、通常よりも大きな剣や槍を作らせ、馬上から攻撃をするという、今では騎兵と呼ばれ、すっかり基本となった馬を用いた戦術を確立したのである。
 敵兵は、自分たちより圧倒的に高いところからの攻撃、そしてその機動力の高さに翻弄され、アルラ=ルードの率いる集落には自然と攻め入ることがなくなった。
 やがて、彼の子孫を中心として、集落は国まで発展し、その英雄の名は、国の名前として刻まれることとなる。
 そこから何百年にも渡り、戦は繰り返し、戦法も武器、兵器も進化していく中で、かの英雄の血を継いだ王族達は、常に先陣を切り、その名を轟かせてきたのだった。
 しかし、近年になり、戦そのものが減り、世が武功よりも安寧を求めるようになるにつれ、国王の力は衰退していき、それを擁して太陽の名を冠する騎士団の権勢は強まることとなる。
 アルラード第12国王カミラ・ルードは、地下に作られた石畳の通路を足早に進んでいた。
 前後に黄金の鎧を身につけた近衛兵、横には大臣を引き連れ、如何にも必死な形相である。
 アルラードの武勇なき王。
 20年前に12代目の国王となった彼は、そう呼ばれていた。彼の統治する時代は、幸運にも戦がなく、彼自身もあまり戦という面倒事を好まなかったため、いつの間にかそのような呼び名がついた。
 しかし、それはあくまで表向き。
 武勇なき王。この呼び名は、元々彼の臆病さを揶揄してつけられたのだ。
 それを体現するかのように、今その王は、一切の責任を放棄し、民を見捨て、逃亡を図っているところだった。
 前後を行く二人の騎士は、なんとも複雑な面持ちでその指示に従っている。国王直々の命令となれば、歯向かうわけにも行かない。
 そして、もう一人。先代王から引き続き大臣として任ぜられた男がいた。彼もまた、国王の命に従い、同行させられている。隣を行く情けない王の姿を見ながら、悟られぬよう胸中で呻いた。
 これがかの勇猛なルード家の末裔なのかと。
 先代王は、武勇こそは歴代の王に劣るものの、非常に勤勉で聡明な王であった。国民の為に尽くし、人望に長けた。万一に備え、様々な策を講じ、鉄壁の要塞を作り上げたのもこの先代王であった。それ故に、武勇こそ劣れど、民からの信を一心に受け、他国からも名王と評されていた。
 だがしかし、その息子である今横を行く男は違う。国益よりも私利私欲が勝り、この20年間、いわばやりたい放題であったのだ。
 ――あまりにも父が偉大すぎたのだろうか。
 そんなことを思ったこともあったが、今や情けすらかける気にもなれなかった。
「全く、あの役立たずどもめ」
 まるで呪詛を吐くかのように、隣の王が呻く。その言葉に、先を行く騎士が、拳に力を入れたのがわかった。
「陛下、相手が悪かったのでございます。あの魔王軍が相手では」
「うるさい!何が太陽の騎士団だ!最強を誇っておきながら、この有様ではただの恥さらしではないか!」
 大臣の進言にも耳を課さず、ただ憤る王に、今度は後ろの騎士がわなわなと体を震わせるのが見えた。
 大臣も平静を装ってはいるものの、内心は彼らと同じ思いだった。
 対立国だったアズウィルが滅びたのをいい事に、この国王は軍事に関わる予算を大幅に削り、城内の嗜好品に湯水のごとく金を注いだことを、大臣である彼はよく知っている。
 何百年にも渡り、中には何世代にも渡り、この国に尽くしてきた騎士達にとって、これほどまでに屈辱的なことはないだろう。歴代の戦士達に心底申し訳ない思いが、誰に届くこともなく胸中に滞留した。
 長い石畳の通路を30分ほど歩いた頃だろうか。唐突に先頭を歩いていた騎士が足を止めた。
 王が、急げと言わんばかりに眉根を寄せたが、しっと唇に手を当て、剣を抜き去る騎士を見て、慌てて言葉を引っ込めた。
 後ろの騎士もいつの間にか緊張した面持ちで、前方を見つめている。
 カツン、カツンと、出口の方から靴音が響いた。
 王族しか知らされていない緊急の脱出口だ。出口側も巧妙に隠され、通常では誰も立ち入ることができないはずである。
 それにも、関わらず。
 カツン、カツン。
 均一的に響くその足音は、確実にこちらへと近づいてくる。
 やがて、意を決したように、先頭の騎士が、もう一人に目で合図をすると、剣を構えたまま先に進んだ。
 二つの靴音が石畳に響き渡り、やがて重なると、剣が打ち合う音もなく、どさりという崩折れる音だけが聞こえ、
 カツン、カツン。
 またひとつの足音が、着々と迫ってくるのだ。
 王は、慌てて引き返そうとするが、後ろの騎士は何かを覚悟した表情でそれを押し留める。
「何をするか!!わしを殺すつもりか!!」
 喚く王を前に、騎士はなんとも冷たい表情で笑った。その顔を見て、大臣も悟ったように息を吐く。
 カツン、カツン。
 ついに足音が間近に迫り、壁に灯された蝋燭の光に照らされるかと思った刹那。
 ――緑色の風が、通路を吹き抜けた。


 太陽の指揮官は、混乱をなんとか沈めようと奔走していた。
 すでに王が逃げたということは知れ渡り、一部が安堵する一方で、今度は元々現王に不信感を持っていた者達が好き勝手を始めたのである。
 このままではまともに籠城できるかすら怪しい状況だった。
 詳らかに指示を出し、混乱を沈めようと奮闘するものの、実質的な権限を持たぬ彼等では焼け石に水である。
 王が無事に逃げきれたのであれば、他国からの援軍も望めるが、あのプライドだけ高い王が、果たしてそのようなことを考えるか、彼には想像すらできなかった。
「せめて、先代王がご存命であれば」
 不意に口について出た言葉に、周りの騎士達がはたと動きを止めた。誰もがきっと、同じ心境だった。
「わしがいたら、どうなるのかね?」
 騒然と、そこにいた全員が、振り返った。
 あまりの非現実さに、ついに自分はおかしくなったのかと何度か体をつねる。
 しかし、強烈に刺さる痛みは、目の前の人物が現実であると告げていた。
 扉を背に立つその姿を前に、太陽の指揮官は縋るように駆け寄り、そして、跪く。
「陛下……っ」
 かつて自分が絶対の忠誠を誓った王を前に、彼は目眩をするような思いだった。
「よくここまでやってくれた。もうよいのだ」
 第11代目国王、ヨゼフ=ルードはそう言うと、老いながらも精悍な表情で騎士達を見回した。そして、静かに頷くと、
「我が最愛の騎士達よ、さぁ、共にゆこうではないか」
 勇ましく告げるその姿に、一縷の希望を見たまさに、その瞬間だった。
 ――視界が真っ赤に染まった。
 どさりと音を立てて身体が石畳に、投げ出される。
「なん……で」
 遅れてやってくる痛みに悶えながら、彼は、かろうじて動かせる瞳を上に向ける。
 そして、視線の先の青色をしたそれを確認すると、彼の意識は永遠に闇の中へと溶けていくのであった。
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